お話81<奇跡の話・大天使アリエル編>

 
 エンジェルエッグのプレゼント応募の際、一緒にアンケートを頂いております。
 皆様の楽しいメッセージ、ありがとうございます。

 その中で、皆様から奇跡の体験についてお話を伺っているのですが、早速こんなお話がありましたので、ご報告です。大天使・アリエルのお話が2件続きました。

☆☆☆その1☆☆☆

 2年前の夜中にパソコンをしていると、だれか?何か?と頭の中?で話し出した。
(31歳の時からたまに、頭の中で話し出す時がある。
 でも誰か分からない。独り言?でも会話になっている…ということがある)

 ドリーンバーチュさんの本に誰か聞いてみたらいいというようなことが書いてあったと思って「だれ」っと聞いてみた。
 そしたら「アリエル」って聞こえた?えって思って今、テレビでアリエルって洗剤のコマーシャル流れてた?
 流れてないし、ながれてなかったよな〜…ア〜リエ〜ル♪ってそれって洗剤やんとか思いながら、そんな事考えてもなかったから、一様ネットで調べてみた。
 そしたら、大天使って書いてある…まさか私に大天使?
 それってなんか都合良くない???って思ったけど この時までアリエルっていう天使がいることも知らなかったから… それでも私は気のせい?とか考えてしまって…はっきりした印が欲しいと願っていました。
 それからすぐの、9月18日の大阪スピコンで、ご主人のミカエル(注・パートナーのことですね)さんのセッションをはじめて受けてみたんです。(友人が機会があったらうけてみたらいいよと教えてくれていたので)
 その時名前?生年月日?を伝えただけなのに、いきなり、あなたの天使はアリエルと言っているっと言われたんです。もう、ビックリ、メチャクチャ嬉しかったです。頭がおかしいのでもなく、気のせいでもなく、誰にも言っていなかった事を天使のチャネリングをするミカエルさんを通して、天使が印、それもはっきりと自身を持って良いんだっていうしるしがもらえたことに天使にもミカエルさんにもずっと感謝しています。
 そのあとにも自分の頭がおかしくなった?っと思ってしまうときにでもいつもこの時のことを思い出して大丈夫・大丈夫おかしくないと言い聞かせています。   Y.Hさん 

☆☆☆以上☆☆☆

 素敵なお話をありがとうございました。
 こういう事って、あるんですよね〜。疑っていると、どこかで知らせてくれたりするんです。
 もちろん「知らせて!」ってお願いした場合多いですけど、気づくという事をご本人がちゃんと受け入れたからこそ、奇跡体験が出来たのでしょうね。
 私も初めは天使系に疎かったのです。
 でも、色々な事が続いて起こって、ポスターの『ラファエル』っていう文字がボーンっと目に飛び込んできたり…しましたー。


 ★★★その2★★★

 奇跡の体験ではありませんが、嬉しかった事を聞いていただけますか?(^^;
一つは、デジカメで花を撮ったらオーブが写っていて、その事に気づいてからは頻繁にオーブが写るようになりました。天使がここにいるよ!と教えてくれているように感じました。それと、夢の中で私が植物のポトスを見ているとキラキラ輝きだしたのでよくみたら天使がいて、「大天使アリエルですか?」と聞いたら「そうです」と答えて消えてしまった事です。
 奇跡な体験とは全く違ってごめんなさい。 読んで下さってありがとうございました(^^;
                                     R.Kさん
★★★以上★★★

 これが奇跡体験でなくて何とする〜!と叫んでしまいますわ。
 天使さんは光となって写りますよね。お花の近くなら、ディーバたちかな。
 きっと綺麗なんでしょうねえ〜。(うっとり)
 以前、私の友人が撮った写真も、まさに光輝いていて、その写真から受け取ったのが<angel message 018>でした。
 夢の中でちゃんと会話出来たのですね。
 素敵な体験を教えてくださってありがとうございます!


 同じ時期に天使話でアリエルが続いたので…面白いものですね!

 皆様にとっても、どんな意味があるのでしょう。

 by Yumiko Aug. 22 '06   
ページのtopへ↑

お話80<ありのままに生きる>

 
      「あなたは、あなたのままでいい。」(歌詞のフレーズにもあるけど)

 私はこの言葉が好きだ。
 私の全部を受け留めてもらっていると感じられるから。

 普通の感覚でこの言葉を受け取ると、どんな事を考えるだろうか。

 「自分のままで」「ありのままで」「自分らしく」

 頭では、そのとおりだと想ったとして。
 本当にその言葉のままを受け留めて心に届いていると感じることが出来るだろうか。

 本来は、子供たちが毎日毎日、

 「あなたは、そのままでいいんだよ。」
 「あなたは、そのままで愛されているんだよ。」
というメッセージを受け取って生きていかれるならば最高なのだろう。

 けれど、一般常識というものの中で生きるときに、歪められていく。
 今、親が愛の言葉を上手く子供に伝えられているだろうか。

 それはもちろん、私が省みていることなのであるけれど。

 これをしては駄目。あれはいけないことだ。
 ほら、また間違えた。何度いったら分かるの?どうして同じ事をするの?

 注意されるときに、常に親に愛されていると感じられて居る子供とそうでない子供は明らかに受け留め方が違って行くだろう。安易に想像出来る。
 心の底で、「私は、そのままで愛されているのよ。」という確信が出来てれば、多少の親の言葉の否定で自分を全否定してしまうことはない。
 少し前の日本では、母親の愛が子供に注いでいた割合というか関わりが大きかったのではないかと感じる。
 既に私が生まれてからの時代は、「愛」という物が少しずつ欠如してきていたのではないか。
 それは、実際に私の母親がそうだった、とか同級生の親がそうだった、ということではない。
 そうではなくて、人間的な社会的な風土としての事である。

 親は忙しく、余り子供と過ごす時間がなくなったり、手作りの食事が減ったり(これは手抜きとは違う)、父親が母親に疎ましがられることによる父親不在が増えたり、競争社会というものが幅を利かせていくことによって。

 体罰が良くないと言われる。

 しかし、多分、もっと私の生まれる前の時代は、母親も父親も手を出していたのではないだろうか。特に男の子に対しては。虐待ではなくて、愛のムチ。
 今の時代に『愛のムチ』なんて無いに等しいだろう。
 そんな事を出来る器量のある人間が、殆どいないだろうと想うのだ。

 愛を持って相手に接する。感情ではなくて、真剣に一対一の人間として、子供に対する。
 その時、そこには厳しさも必要とされるだろう。
 この厳しさがあれば、こんなに「ニート」問題が大きくはならないはずだから。

 私がカウンセリングを学んでいた頃に、一番問題視されていたのが、「引きこもり」だった。
 特に10代で引きこもりになった子供は立ち直る可能性が大なのだが、30歳を過ぎて引きこもっている場合は、手に負えない感があった。ひと言では表現でいないけれど、重大な問題だと予感していた。

 そのとおり、今や『ニート』という言葉が世の中に幅を利かせる時代になっている。

 『ニート』は可愛そうだ、という意見がある。
 人によって状況は様々だと思うので、すべてを一くくりにしてはいけないだろう。
 
 親が手を焼いてどうしようもない、という状況も、そこだけを見ると大変だな、と感じる。
 でも、それはどうなんだろう。

 ニートと呼ばれる多くの人は、孤独感や無力感を抱いているようで、一人で過ごす時間が多い。
 その気持ちを理解してあげることが大切なのだろうか。
 その気持ちを理解してあげる?理解して欲しいと思うのだろうか、その引きこもりの人々は。

 それならば、理解して欲しいという気持ちを表現するために何かをすることは出来ないのだろうか。
 仕事が出来ない、人間関係が上手くいかない、という事についても、苦手なのだと認めることは出来る。そのために、どうしたらいいのかと悩んでいるのだと思う。
 でも、本当に何とかしたいと思っているのならば、根本の原因に真剣に向かい合わないといけないのではないだろうか。

 もし、彼らが神経性の病気だというならば、それは責めるべきではないし、療養する必要がある。
 でも引きこもっている人の何パーセントかは、やる気が起きないのに原因を探さず、親の加護の元でやりたい事だけをやって暮らしているようだ。
 子供時代を延長しているのかもしれない。

 それを許してしまっている親が問題だという意見も多い。

 30歳を超えた子供を親が擁護する。
 親も悩んでいるという。

 ここで突き放すという事が出来ない。
 子供がかわいそうだから、という。
 でも、ニート達は、その事が分かっているのだと思う。
 親は決して自分を追い出したりしないことを。そんな勇気が無いということを。

 もし、ニートが心の傷を持っていることで動き出せないのだとしたら。
 その傷を何とかしないといけないのではないかと、単純に思うのだ。
 「自分は傷ついているから、外に出ることは出来ない。」とだけ主張しているのは完全に逃げである。

 どうしたらいいのか分からないのであるならば、まず本気で何とかしたいと考えるのならば、

 問題に向かい合う場所があるといいのだろう。

 甘えさせるだけではなく、愛を持って、きちんと「自分力」を付けられるような過程を。家庭もだけれど、過程。

 自立支援施設。
 そこに入るのも自分の力では決められない、選択できないニートに、本当の解決策はあるのか。

 そして、本当に解決しなければと思わない限り、いつまでも他人任せの人生であろう。
 親が決めてあげるのではなくて、自分で決める力を付けられるような援助が必要なのではないかと思う。

 正論ばかりでは解決しないことも良く分かっている。
 私も本当に、子供たちに「愛」を持って指導出来ているのかと考えたときに大きな疑問が残るから。

 感情をぶつけるだけでは、指導にならない。
 そして親も完璧ではないのだ。それを踏まえたうえで、子供を沢山愛情を注いだ上で、突き放す事が大切なのだろうと想う。想うけれども上手く出来るか分からない。

 子供に対して親が自信を持って接する事が難しいのはどうしてなのだろう。
 親に自信がないから、そもそも『ニート』が増えてしまっているのに違いない。
 
 ニートに対して『ありのままでいいんだよ。』と言っていいの?と疑問が出たときに、
私は分からなかった。そのままではいけない、と言ってしまいそうだと思った。

 だけど、そこが違うのだろう。
 状況に対しては間違いもあるから、正さないといけないのだけれど、
親から生まれて育ってきた、その自分自身はすべてそのままの自分で愛されていいのだ、という事を伝えていかなないといけないと思うのだ。
 それは誰がするのだろう。
 
 親?社会?一般人?

 無気力な人は、自分で自分に気づかせてあげる事が大切なのではないかと感じている。
 自分でその事に気づいていかないと。

 自分は愛されたいのだ。
 自分は自分を愛したいのだ。
 自分は人に認めてもらいたいのだ。
 自分は自分を本当に認めたいのだ。
 この自分が、ありのままでいいのだ、という事を受け入れたいのだ、という事実に。

 問題は人間関係ではなく、社会に適合できないのでもなく、

 それはただ、表面だけのことで、

 心の奥底にある本当の気持ちに向き合わなければいけないのではないか。

 親が悪いとしても、その親を選んだのは自分であって、
その親の元で、今の問題を乗り越えたいと望んでいるのも自分なのであって。

 上手くいかなかったことも、乗り越えるためにあるのであって、

 だから、このチャンスを手にしているのだと考えることも出来る。

 今は気づかなくても、ほんの数秒先に、絡まった糸が解けて道を見つけられる場合もあり得るのだから。

 本当の自分を探す。
 それは、ありのままの自分を見つけること。
 あなたの中にすべてがあるということ。
 出来ない事があっても、それがありのままの自分なのだから、出来る事を見つけて行けば良いだけ。

 誰だって、笑うことは、出来るでしょう?
 
 その笑顔が、誰にでも愛を与えられて、自分を愛することが出来る一番簡単な事ではないかと想うのだ。

 
 by Yumiko Mar.22 '06
 
ページのtopへ↑