お話10<天使へのメッセージ>
天使がメッセージをくれるので、こちらからも送ってみましょう。
もう実行していらっしゃる方もおいでですね。
ワークショップ等では誘導したり瞑想したりする方法もありますが、今回は天使に自分の気持ちを伝えてお手伝いをお願いすればいいので、本当にSimpleです。
Simple is best! は私のモットーでもあります。そういえば、世の中ややこしくなりすぎていませんかねえ。難しい方がやった実感が湧くと言うのも分からないでもありませんけど。
ただ単に私の性格の賜物かしら。
肉体を持っている私達には様々なエゴもやってくるので、特に苦手な人や物事に対するとき光の存在のパワーは有難いものとなります。
自分を守りたいときは光で包んでもらう。
「よろしくねー。」とお願いする。
ちゃんと聞いていますよ、天使たち。
お願いされると嬉しくて仕方ないんだそうです。(今、そう書けと言われた。)
お願いされなければ動けないらしいです。
もちろん、お願いされてもその人にとって天使が動く事がその時のその人の成長に相応しくなければ、何にもしないで傍にいるだけのようですけど。願った者勝ちでしょ?
私はある職場でお試し体験をしました。
その職場の仲間たちは何だかとっても気の優しい人ばかりでした。ただ一人、リーダーを除いては…。
下の立場としては、リーダーの機嫌で職場の雰囲気が左右され、八つ当たりされる人も出始め、空気が重くなりつつありました。
特に被害者傾向の人はとばっちりも大きかったのです。
そして、例によって私は自分の傍観者ぶりを見せつけられる事となりました。
相談は受けるけれど、ハテ、どうしたらいいのか。
面倒なことになったら嫌だよなあ…(トラブルはすべて面倒と思う癖がある)。
皆ではっきり本人に訴える?どーする?
という感じになった時、それでは私達が脅迫者×リーダーが被害者になるだけだと気づかされました。
そこで、不本意ながらも(私のエゴは嫌がっていたの)リーダーに毎日光の帯を降ろすということをしてみました。
毎朝、職場に行って自分の天使に(リーダーに光を…。)とお願いするだけなんです。
それでも、感情的に腹が立っているときなどは難しい作業でした。
だから自分が頑張るのではなく天使にお願いするのです。
続けていくうちに、リーダーが柔らかくなったと同時に私から見て「上に立つものの大変さ」とか「仲間に入る事が出来ない寂しさ」が彼女の中に見えてきたのです。
そう、ドラマに入り込んでしまうと分かり難いものなんですよね、本当に。
そして、ある日、私はそれまで仲間にも光を一緒に送ってもらっていましたが、手紙をリーダーに書くことにしました。
「大変な立場かもしれないけれど、職場の仲間は敵じゃないんだよ、仲間なんだから。」というような内容で。もちろん感情が伴うので渡すまでは簡単ではありませんでした。
その後、みんなの意見としてもリーダーが落ち着いたと感じたようでした。
中でも被害者傾向の仲間は、リーダーにきつく言われた時に、ずっと黙って小さくなっていたのが、
「何でそんなに怒っているんですか?」
って本当に頑張って言えたんです。
その子にとって、リーダーのエネルギーは自分の母親そのものでした。
ドラマを学んで実践する勇気にも拍手です。
私が怒っていたとき、ヒントをくれたのはパートナーでしたが、受け入れるのに3日かかりました。エゴとの戦いだったのかな?
すばらしい学びでした。
私の天使は「すぐ逃げる」私の性質に気づかせてくれ、ここでもしクリアーしていなければ、きっと別の場面でも同じような事が起こりつづけていたことでしょう。
by Yumiko 10th. Feb. 2004
お話9<与えるものが受け取るもの>
入門編ということで、もう少しエネルギー的に別な考え方もあるかと思いますが今回はちょっと趣を変えて。必要ないと思う人は飛ばしていいですからね。
宇宙の法則「与えるものが受け取るもの」
ご存知の方も多い事でしょう。
=宇宙の法則=なんだそうです。
与えるものが受け取るもの…
良い事をすればよい事が
悪い事をすれば悪い事が…
う〜ん、そうなのかな?
確かに人にやさしくすればやさしくしてもらえるかもしれないし、嫌な気持ちにさせたら、嫌われる事もあるかもしれない。
でも、そうかな?
人に何かをあげたら、いつか倍になって返ってくるかもしれない。
人から何かを奪ったら、いつか自分も取られるかも知れない?
今までの文章を読んで、どう思いました?
そりゃその通りだ、と感じましたか?
すべての部分に「恐怖」が入っています。
つまり「受け取るために与えないといけないんだ。」と思った場合…しなきゃダメなんだ…と脅迫に近い気持ちがやって来るかもしれませんね。
見返りも求めず与える…よく言われる言葉ですけれど、これはどうでしょうね。
与えるものが受け取るもの
あなたの中に与えるものが無いと思えば、与える事は出来ません。
与えるものとはなんでしょう?基盤に愛があるのは確かだと想います。
そして愛は誰にでもあるはず。
ただ、受け取った覚えがないのではありませんか?
生まれたときに既に愛の存在なのです。満たされてはいるのだけれど、誰かに言って貰わないと分からない。
だから、両親達からの慈しみって大きな存在なのですね。
親は、赤ちゃんがいるだけで愛を受け取っているはずなんです。
あなたの中に愛があるのに無いような気がする?
よく見てください。
あなたの中の誰がそう感じているのですか?
大人の自分ですか?
小さい子供の自分ですか?
そしてもし、あなたに欠乏感があるのならば与えるのは苦しいですよね。
愛が無いような気がしている人は、今自分の事を信用することも難しいのではありませんか?誰かから愛をもらいたいと思っても、自分を信じられないのだから他人はもっと信じられないでしょう。
さて、信じなくても役に立つのが「天使達」なのです。
まあ、騙されたと思ってなんとかしたいと想っている方は天使にお願いしてみましょう。
「私に愛を感じさせてください。」
そういう時間を取るだけで違うはずです。
生まれてきた存在は愛以外ではなく、神そのもの。
その存在の愛を受け取るのは、まずは、その存在自身なのです。
自分で自分に与えて受け取り与えて受け取る。優しくするってことですよね。
もともとは全ては一つなので…。
人に与えるのは、それからでも充分ではありませんか?
そうです、そのうち言われなくても与えたくなって来ることでしょう。
by Yumiko 6th Feb. 2004
お話8<子育て>
朝、子供を保育園に送りに行った帰り道、すれ違うのは自転車かベビーカーにチビ達を載せているお母さん。どうしても目が行きます。それは、みんな偉いなあと思うから。大変ですよね、お母さんって。
私は本当に自分のやりたいように生きて来た気がするんですが、子供が生まれてからはブルーへまっしぐらでした。もちろんマニュアル通りに育児が進むはずもなく、理想の自然育児も私には合わず(合わない事になかなか気づきませんでした)私の不安を察知してか、とても神経質でなかなか寝てくれない娘。
「野菜を食べていいおっぱいを飲ませましょう。」
と言われ、菜食中心にし、肉を省き、甘い砂糖を避けました。
だけど母乳の出が悪かったんです。
そもそも妊娠中からつわりがずっと続き、出産間際まで食べられませんでした。(霞を食べて育ったのかなあ)
だから、今の世の中、食べ過ぎに気をつけろという風潮の中、私はもっと栄養が必要だったのかもしれません。
食べたいものを我慢し、一向に母乳も増えず、粉ミルクに罪悪感を感じてどこへ行ったらいいのか暗闇にはまっていました。
本気で(助けて〜!!)と思ったとき、ある保健婦さんに出会い
「良く頑張ったね、赤ちゃんも分かっていると思うよ。」
と言われダーッと泣きました。
そうしたら10ヶ月の娘も一緒に泣いていました。
あの頃私にとって一日一日がいつまで続くのか途方に暮れていました。
だからすれ違うお母さん達は大丈夫かな?と気になります。
世の中、女は母になって母性を持って当然と思われがちですが、今私は娘に母親として育ててもらっている気がします。私が長く生きて来た分経験を伝えていく事は出来ますが、親子としては分からない事のほうが多いです。
娘は私を選んで来てくれたと言います。
「こっちに来るときね、この人がお母さんだったらいいなーと思っていたらそうだったから、良かった〜って思ったんだよ。」
私はね、まだこんな風なお母さんでありたいという自分にはなっていないけど、怒ってばっかりだけど…ありがとう。
子供を愛する事が出来ないと苦しんでいる母親は、一人ではどうしていいのか分からないかもしれません。
目の前に大切な命があるけれど、自分の命を大切にする仕方さえ分からないのだから。
上手くいかなくて当然、自分を責める前に助けを求めましょう。
誰もが本当に愛されて存在しているからここにいるんだよ(ってうしろが言ってる)。
by Yumiko 2th Feb. 2004
お話7<闘争ドラマ>
またの名を<コントロールドラマ>。
実は一番テーマにしたかったものであり簡単に終わる話にはならなそうなので、書く前に子供に言い聞かせました、(早く寝なさい。)
これも親のエゴでしょうか…いえいえ明日習い事あるんだからね、早く寝ようね。
人は生きる癖、パターンを持っているものです。それを「聖なる予言/角川文庫」の中では4つのパターンに分けています。
脅迫者・尋問者・傍観者・被害者
自分の陥りがちなタイプを考えてみた事はあるでしょうか?
そして人はなぜコントロールドラマという人間関係のトラブルとも呼べる、エネルギーの奪い合いをしてしまうのでしょうか。
子供は愛され保護されるべくして存在していますが自分を守る手段をもたないので、周りの大人たちのタイプに対抗する手段として自分を守る方法を学んでいきます。権力闘争という、本来は宇宙、もしくは自然・大地から受け取るべきエネルギーと遮断されているという誤解から、大人は弱い子供達からエネルギーを取り上げていくのです。そのパターンは大人同士でも普通に行われている事であり、私達が乗り越えてゆく最大の最良の障害物だと思います。
脅迫者は暴力的に脅したり、相手に恐怖心を植え付ける事で注目をあつめエネルギーを自分のものとしようとします。
尋問者は相手を心理的に追い詰める、質問攻めにすることで相手の自信や信頼感を失わせエネルギーを奪います。
傍観者は人と距離をおき自分を守ろうとすると同時に、神秘的に見せる事で相手の気を引きエネルギーを支配します。
被害者は自分は弱いという事で相手の同情心をよび、また罪悪感を持たせることでエネルギーを引きつけます。
攻撃的なもの…脅迫者・尋問者
受身的なもの…傍観者・被害者
対応として 脅迫者×被害者
尋問者×傍観者 が分かりやいでしょう。
被害者を可愛そうだと思う傾向はありがちかもしれませんが、人間関係のドラマの中でパターンを見ていくと、実は被害者は自分から問題を解決する気は全く無いにもかかわらず自分を脅迫する人をひきつけてまでエネルギーを奪おうとしたりしているのです。
すべてのコントロールドラマは心の根にある恐怖心から起こっているといいます。
その場面場面で何種類かのタイプを使っている事もありますし、どのタイプをもする可能性はあります。
けれども一人一人殆どの場合、傾向があるようです。
いつも繰り返し人間関係のトラブルに巻き込まれる場合、自分がどのタイプになっているのか考える事が出来ます。これは、奪い合いのゲームのような物だと理解できる事でしょう。あたかも人生の、あるいは日常の一部のようになってしまっている事に驚きませんか?
驚いた方は、自分のタイプを見つけるのが早いかもしれません。そしてそのタイプを見つける事が、この先の人生へのステップアップになることでしょう。
コントロールドラマは親から受けた影響が強いのです。タイプを知る事によって、ドラマから抜け出せばいいわけですね。
「それがなかなか出来ない。」という場合は、タイプが見つけられないか逆にそのトラブルのように見えるドラマを知らず知らず何処かで楽しんでいるのかもしれません。小さい頃からの家庭内での親しんだ傾向であれば、そのドラマのパターンの中で生き残ってくる事に慣れて身についているからです。
顕在意識は否定していても、潜在意識のどこかで安らぎの場であるはずのパターンとして覚えてしまっているのです。
抜け出したいと思ったらどうすればいいのでしょうか?
パターンに気づきましたね?
次にする事は、ドラマに入り込みそうになったときに、その事実に気づく事が大切です。
パターンを知っているならば「くるぞー。」と気づけるようになります。
何度かは過ぎてから考え直してみてもいいかと思います。
そして、何をすればいいのか、ですね。
簡単です。相手のドラマのパターンを指摘してあげるのです。
脅迫者に対して…「どうして、そんなに怒っているの?」
尋問者に対して…「どうも批判をされているように感じてならないのだけど。」
傍観者に対して…「なんだかよそよそしく感じるのだけど。」
被害者に対して…「怖がってばかりいない?」「あなたと話すとどうも罪悪感を感じてしまうのだけど。」
など、場に応じて言葉は変わる事でしょう。
簡単ですね!相手はエネルギーを欲しがっているのです(気づいていなくても)。だから期待とは違う反応を見せる事です。
確かに今までの自分の行動とは違う事をするのですから、勇気はいります。やるかやらないかはもちろん自由なのです。
けれど、本来は人から取るものではないエネルギーを奪い合っていると知ってしまいましたね。
このままで居られるでしょうか?
そしてここで来ました天使の出番!恐怖が来たら、「勇気を下さい」とお願いしましょう。
自分が変わると相手が変わるというのは、こういったエネルギーの受け渡し方が変わっていくからなのです。
そして、エネルギーの法則は<与えるものが受け取るもの>となっていくのです。
by Yumiko 30th. Jan. 2004
お話6<鏡>
「人は鏡」とよく言います。
それが好きな人と鏡と言われるならば嬉しいですが、嫌いなタイプの人に対してだった場合あまり認めたくありませんね。
でも気が付いていますか?「嫌い」という要素の中に、とてもたくさんの贈り物があるという事。
例えば職場の「嫌い」な人のどこが嫌い?と挙げてみる。
まずは相手の行動に対して考えてみる。
次に自分がそのことにどういう想いを持つのか、何をされて、何をしてくれなくて、どう感じるのか考えてみる。
☆1.そのタイプの人と同じような人が身近な人の中にいませんか?
☆2.そのタイプの人と同じような人が、必ず自分の職場にいるような気はしませんか?
☆3.そのタイプと同じような傾向が、自分の中にありませんか?(ここが鏡です)
ではどうして「嫌い」なのでしょうか?
もしかするとその相手を自分で引き寄せているように思いませんか?
そのタイプの人が苦手だけれど、気づいて解決させる何かしらの必要があるのかもしれませんね。
「嫌い」でなければ見逃してしまう気づきの贈り物。
もちろん、「嫌い」であることは否定しないでください。但し、
感情に占領されて、<ドラマ>に入り込まないように気をつけて…。
入り込むと人間関係のトラブルに巻き込まれてしまうかもしれません。
by Yumiko 29th. Jan. 2004
お話5<エゴ>
ホームページに載せる前、私は一瞬自分のことを客観的に見てみます。
「疑い」とは違うかもしれませんが、批判的な目で見てみます。
そう言うと載せている内容と反すると思われるかも知れませんね。
何で自分を信頼しないの?って。
信頼をしていない訳ではありませんが、私の中にもエゴがあります。
私は出来る限り angel cascade を光で満たしたいので、少しの間別の目でエゴに傾いていないか見てみるのです。
光が強いと影も濃くなるといわれます。そして、絶対に正しいなんて事も実はあり得ないのでしょう。
例えば、心が真っ暗闇に囚われてしまったとしても、
それがすべて闇の悪さだと言えるでしょうか?本人の中に必要があるからかもしれません。
そして、闇が無ければ光の意味も分からないということです。
常にポジディブでいることに疲れてしまったら、それはそれで良いのです。
悩んだときにはもう答えは存在しています。答えを求める気持ちが大切なのでしょう。
外ではなく、自分の内側にね。
それを鏡のように映し出してくれるのが、外の世界ではないでしょうか。
by Yumiko 26th Jan. 2004ページのtopへ↑
お話4<扉>
女性一人でどこのお店なら入れますか?
私はもともと外食は贅沢と思っていたので、一人で行く機会も学生時代は殆どありませんでした。
友人と行ったのはファースト・フード、ファミレス、…自然と一人で行くお店もその辺からスタート。
OL時代グルメの本がいっぱいあって、いろいろ友人と探索したので…社会の目は拡がっていきましたが(どんな目?)一人で入れるお店はそれでもやっぱりファミレス止まり。女性営業マンの友人が一人でどこでも入っていると聞いて驚いたのが20才前半の頃でした。。
妊娠中、臨月の身で37℃の炎天下の中近所へ買い物に行き…帰り道が果てしなく遠く感じられ、一見さんお断りのような喫茶店になだれ込むように入ったあの夏の日…。
扉を開けば、何とでもなると悟ったのでした。
そうそう、その一歩を踏み出せば新しい扉が開くかもしれませんよ。
by Yumiko 23th Jan. 2004
お話3<祈り>
祈りのエネルギーはとても神聖なものです。
それは何となく分かります。
では、<祈り>とはいったい何なのでしょう?
ふと、そう想っていたとき、ある本の中に
「祈りとは神と交わす方法、言葉」とありました。
はあ、なる程。私は<祈り>とは人のために願ったり、自分を反省したり、何となく無欲な気持ちで一方的に行うことのような気がしていました。
交わす事が出来るってことは、会話っていうことかしら。
<祈り>と聞くとどんな感じを持ちますか?
私は特に宗教を持っていないので(お釈迦様とか、キリストとかマリア様とか千手観音とかシヴァ神とか具現化された色々な神様には興味ありありですが)そんな、わざわざ<祈る>なんて重々しいことをするのはねえ…と思っていたふしがあります。
でも神と言葉を交わすとしたら、無欲でないといけない?
「欲」は神が与えたものではないのでしょうか?
ですよね?
さて、外に向かって祈る前に
まずは自分の中心と言葉を交わしてみませんか?
「自分を認められるようになりたいのです。」って。「大好きに…。」
これも<祈り>なんですよ、きっと。
by Yumiko 21th. Jan. 2004
お話2<否定>
自分を否定される事が好きな人はいるでしょうか?
では、人を否定する事が好きな人は?
自分を正当化するために、人を非難・批判(つまり否定です)しようとするのは防衛本能ともいえるでしょう。
まったく向上性がないものの生き残るための手段としては、その人にとってそれまで最良だったのです。
慕われない上司は、失敗を失敗としか判断できないものです。深層心理としては、リーダーとして立って人をまとめるほどの技量が自分にはないと思っている恐怖心がありそうです。だから、非難と批判でいっぱいになってしまうのかもしれませんね。
もし、その中に「認める」という心が入ったらどうでしょう?
愛情をもって相手を指導するのであれば非難と批判は使いません。
理想どおりに進行しなかった事実があって、困難な状態の中ででも「認められる」部分を見つけていくことは結構難しいかもしれませんが、リーダーとしてのそこが技量なのではないでしょうか。
だから部下としては、この人に誉められたいとか(子供のように)この人の力になりたいという想いにつながり、慕われる上司は益々有能な(精神的にも)部下に恵まれてゆきます。
向いてない気がしても上司をやらざるを得ない人は、恐怖心に苛まれるよりも「本当は向いていない仕事をしている自分自身」をまず認めてみたらどうでしょう。まず自分の本音と向き合う。
上司と言うのは例えですが、親子関係にもあてはまりますね?
ついつい失敗を失敗として怒ってしまう。その子の本質とは何ら関係がないことも親として分かってはいるのですが、その部分を認めながら注意をするなんて高度な技術としか…。
会社勤めの方々もストレスでいっぱいなように、家の中にいる主婦もまたストレスに満ちていると思います。
どんな形でも、自分を認めて自分を大切にしていくと、人にも優しくなれるのですよね。
結局、否定は、一番初めは自分に対して始まっているのです。
私が尊敬する人々は、他人の中にその人の本質を見て、それを認めようとします。
自分が全部を認めてもらったら、どんな気分になりますか?
自分を否定される事は、好きですか?
では、どうして自分で自分を否定してしまうのでしょうか。
さあ、今日から始めてください。
「私は私の事を全部認めます」という宣言を。
ここで否定感が一杯出てきた方は…それを感じていてくださいね。
感情まで否定しないでまず感じてみましょう。
by Yumiko 19th Jan. 2004
お話1・<日記>
私は日記を書くという習慣がありませんでした。 人と合う約束は殆ど(?)忘れないので(むしろ書くと忘れるの)スケジュール帳も書き込まない事が多いのです。 ある時、パートナーに「出来事を書きとめておいたら?」と言われ、渋々始めたところ、過去世物語のソースになりました。 私がメッセージを受け取るにしても直感型なので(不精ともいいます)、 「あそっか。」 と思って実行に移す事はあっても(おそらく皆そんな風に自然に後ろの存在から情報を受け取っているのでは?)文章の形で書きとめようとしたことは、ありませんでした。 書く事にフォーカスすると誰かから相談を受けたりして、一緒に感情を掘り下げて…必要な言葉がやってきました。 ところが、その文を理解出来るのはその時とは限りません。 私の為だけのものと思っても、すっきりと腑に落ちるのは2・3ヶ月後だったりするのです。 (なんだ、こりゃ〜?)と考えてしまったり、(私ってバカになっちゃったのかも?)ちょっと悩んだり、逆に(今更何いってんの〜?)とエゴが突っぱねてしまう事もあるんです。未熟です(恥)。 そこで分かってきたのは、光の言葉は、誰かがその人なりの受けとめ方をするために秘密のエッセンスが入っていて、その時の意識レベルでは読み取れないけれど、ある時(その人が必要なとき)ポンッと分かっちゃうのかもしれないなあ…と。 なので、時々気が向いたら、angel cascadeのページに遊びに来てください。 なにかしらの気づきのお手伝いが出来れば嬉しいです。 by Yumiko 15th.Jan.2004 |